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兼業農家の実家で育ったということは。

我が家は兼業農家である。

ものごころついたときに分かったのだが、我が家は兼業農家といわれる農業と主業の2つのビジネスをしている家庭だった。

2つのビジネスといえば聞こえはよいかもしれないが、ようはサラリーマンの傍ら農業もしているという状況だ。

父はサラリーマン、母もパートタイマーであり、その休日や出勤前・帰宅後を利用して、種植え・苗の管理・畑や田んぼを耕し・収穫・出荷のサイクルを繰り返していた。

実家が地方の田舎ではよくある光景かもしれない。

私の世代は、田舎ということもあり半数は兼業農家の家庭だった。

 

祖父母の代は専業農家で、貧しくも日々の生活をしのいでいた名残なのだと思う。

1970年代~は高度経済成長期というのもあり、田舎で育った息子や娘の半数以上は首都圏や大阪などの大都市に就職していった。

しかし中には長男、もしくは実家を離れたくないという理由で地元の中小企業に就職を決める子供も一定数いる。

その地元に残った子供たちが先祖代々の土地を守るという名目で、田畑を相続し、継続して農業を続けているのだろう。

もちろん、農業を続ける必要は各家庭により変わってくる。

十分な収入があれば(生活していける範囲の収入)続ける必要はないだろうと思われる方も多いかもしれない。

しかし、田畑は遊ばせていれば(何も作物を育てなければ)荒れ果て、雑草が生い茂り、そこに虫が湧く。

見た目だけでなく、近隣の住宅や隣の田畑にとって多大なる迷惑をかけてしまうのだ。

【害虫の発生や、雑草の種が近隣の田畑にまかれることによる対策の手間がかかる】

そうならないためにも、引き続き作物を育てることになる場合が多いのである。

 

実家の、主な農業の内容としては稲作とジャガイモ・サツマイモの生育だった。

これはもちろん地用や地域によって変わってくるが、稲作はどの地域でも一定数いるのだろう。

 

日本は島国ということもあり土地が限られているため、一部地域を除いて大規模な農業は難しい。こじんまりとした田畑に機械を入れて作るのである。その場所が終われば、少し離れた場所(場所によってはそこそこ距離のある田畑もあった)の田畑を耕すために移動することもある。

なんと非効率的な事だろうと、青年期にはもやもやとした感情が心にあった。

 

しかし、私自身ある年代に入り、少し心に変化が出てきたのかもしれない。

農業(土に触れる)ことに対してある程度理解ができるようになってきたのである。

収穫した作物を販売しても利益は出ないのですが、作物の成長を確認し、収穫作業をしているときの達成感は仕事では得難い妙な感覚があった。

 

兼業農家の家庭は減りつつあると考えている。社会の発展に伴い喜ばれるべきことなのかもしれない。

しかし、最近では兼業農家であることはデメリットばかりではないのではないかという思いが湧いた。

1次産業の農業。その農業に触れることでしかできない喜びや経験を味わえる。

そんな風に意識を変えていくことが、よりよく生きることなのかもしれない。

 

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